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一級建築士で発明家の上森三郎さんのこと

世界に感謝される日本人
07 /25 2019
こんにちは。しばらく忙しくて更新していませんでしたが私は元気です。

私自身は今までよりも充実した生活をしているのですが、身内にいろいろと問題が起きて大変なところもあります。昨年あたりから、本当に「どうして?」と思うくらい事故や病気になる者がいて大変ですが…。しかし、大人なので私はどうすることもできないので生あたたかく(?)見守るしかありません。

さて、なぜか国連やEUなど、世界を支配していると勘違いしている勢力がやたらと日本叩きをする理由について、いろいろと書いてきました。国連が「日本叩き」をする本当の理由、それは日本人が持つ「世のため人のため」の精神だったの過去記事を見てくださいね。

それが、やはりどうも、こちらの話とリンクしているようなのです。GHQが焚書で「日本古代オリエント交流説」を隠滅した理由の過去記事に少し書いてあります。

米の化石であるプラントオパールが縄文前期の遺跡から出土していることで、日本の稲作は12000年前より前にすでに始まっていることが判明しています。

しかし、現状で受け入れられている世界の歴史の通説ではシュメール文明が世界最古ということになっていて、その流れを汲んだ人たちが現在の椅子の国周辺で聖書の物語を展開したということになっています。「あの場所を制するものは、世界を制することができる」と信じている勢力は、何かあの地域にパワーがあることを信じているらしく、そこを巡って長い間、世界中を巻き込んで戦ってきたわけなのですが…。

実は、日本こそが世界の文明の根源というか本家本元であるということをおっしゃっている日本人がいます。つまり、大陸の方たちも、元はといえば、日本(日本も大昔は大陸と地続きだったこともあるといわれています)から倭人が船で行ったり来たりして文明を伝えていたということです。

上森三郎さんという建築士の方ですが、なんと椅子の国の人たちが自分たちのご先祖だと思っていた歴代の偉人たちの墓が日本にあると仰っているのです。



上森三郎さんのブログ
https://blog.goo.ne.jp/kagome1248

テレビで「日本人の祖先は●●ヤ人」という内容の番組をみのもんたさんが出演してやっていましたが、その反対だということです。つまり、私たちの祖先があちらに渡って、また帰ってきただけだ、と。ネストリウス派のキリスト教を信仰した「渡来人」と言われている秦氏が聖徳太子の時代より前に日本にやってきたことは歴史に残っています。

しかし、なぜそんな大人数で移住できて、朝廷に優遇されて聖徳太子のブレインの地位にまで登ることができたのかといえば、もともと合意済みというか打ち合わせ済みで身内だったからではないでしょうか。まったくの異人種が勝手に日本を乗っ取ろうとして襲ってきたのであれば、内裏にまで招き入れないですよね。つまり、逆なんです。逆。

日本人の方が遥かに古い

世界を牛耳りたい勢力が日本の本当の歴史がわかってしまうと非常に都合が悪いのは、彼らの正当性がなくなってしまうし、長年やってきた被害者ビジネスも成り立たなくなるからです。

だから、必死に日本や日本の皇室に揺さぶりをかけたり、天皇陵を荒らそうとしたり、相撲などの伝統を破壊するような現象が起きているのでしょう。

上森さんによると、彼らは日本からアークが見つかった時にその所有権を主張してあの無理矢理作った国へ「返せ」と言ってくるだろうと仰っていますね。そして、日本人にもあの地域へ帰れと言ってくると。これは、一部のごく少数の日本人がすでに移住しちゃったらしいですが。あの国のアミシャブという国家機関が日本に来て日本に失われた10部族が来たと言っているし、元大使のコーヘン氏もつるぎ山に行っています。

そういった勢力の司令塔があるのは、どうもニューヨークみたいですね。国連本部の場所もそうですが、小室圭さんが通うイエズス会系の大学があるのもそう。そして、ちょうど「トランプ杯」が設置されたときに貴乃花が行っていた場所もニューヨークでした。仁徳天皇陵を世界遺産にしろと勧告したユネスコも国連傘下ですから、ニューヨークなんです。そして、そのトランプさんも本拠地はニューヨーク。国連本部が入っていたのもニューヨークのあのビル。そして、莫大な保険をゲットしたのも、あそこを持っていた人たち。

おわかりですか?

そして、上森さんがビデオの中で日本の古代の大王(おおきみ)がたの墓を発見して、その名前を公表したところ、米軍のヘリやオスプレイが来るようになったり、グーグル(米軍需産業の委託会社)マップから、その場所の名前が削除されてしまったりしたことを語っておられます。

しかし、私のほうも、以前から書いていた偽パト(?)の意味不明なつきまといは続いているのですが、時々、ストーカーを毎日やるのは追いつかないみたいで、パトじゃない普通の車にサイレンだけつけて私の目の前を通ったりしています。何か、そういうことをしている勢力が、ヤケクソ気味になってきてるような気がします。毎日パトが来れば、私もそれなりに怖いと思ったかもしれませんが、何か統制が取れていないというか、ストーカーの仕方が最近は、ちぐはぐなんですよ。

日本は「人種差別撤廃」を国際会議で主張した世界初の国

世界に感謝される日本人
03 /11 2018
日本が世界に誇れることは、実はたくさんあります。

第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会で、大日本帝国の牧野伸顕次席全権大使は「人種差別を撤廃するべきだ」と主張しました。

日本は「人種差別撤廃」を国際会議で主張した世界初の国


なのです。

牧野伸顕

当時、アメリカに移住した日本人がアメリカの排日政策によって迫害されていました。当時、海外移民した日本人は非常に勤勉で長時間働く上に、優秀で成果を出していたため、アメリカの白人たちは「このままでは、自分たちの仕事や地位を奪われる」という危惧感を感じたのです。 また、国際連盟の中核となる白人中心国家から、人種的偏見により日本の存続を脅かされる可能性が危惧されていました。

その後、会議に参加した多くの国の代表がこの提案に賛成し、イタリアやフランスなどの植民地所有国も賛成しましたが、アメリカやイギリスなどの植民地を数多く持ち、その利権を手放したくなかった国は猛反発しました。

採決が行なわれると、賛成11、反対5となって人種差別撤廃法案は圧倒的多数で支持されて、正当な主張とされましたが、議長のアメリカ大統領トーマス・ウィルソンが、「全会一致を見なかった」として法案は不採決と宣言。ほぼ強制的に否決されてしまいました。

その後、アメリカ国内では、この提案に反対したアメリカ大統領やアメリカ政府に激怒した黒人による暴動事件やそれに関連した白人による有色人種への暴行などの人種闘争事件が起きました。

その後、日本の提案は、白人を中心とした世界秩序を混乱させる「危険思想」であると受け取られ、アメリカやイギリスなどの植民地利権の国々から敵視され、禁輸や経済封鎖を受け、それが戦争へと繋がっていきます。

ちなみに、テレビドラマ化された開拓時代のアメリカを描いた自伝的小説「大草原の小さな家」には、当時の開拓者の白人が有色人種の原住民を人間とみなしていなかったことが明記してあります。
大草原の小さな家の記述

「大草原の小さな家」の記述 「西部にいるのはインディアンだけで、人は誰も住んでいない」
http://www.afpbb.com/articles/-/3180016
AFPニュース記事

GHQの戦後の言論弾圧によって、「大東亜戦争」という言葉を使うことを日本人は禁止されてきました。「白人によるアジアの植民地解放と人種差別の撤廃という大義がある戦争であった」ということを隠すために他なりません。

日本人が近代以前にすでに奴隷制度や人種差別を嫌っていたことは、江戸時代中期に日本に来たスウェーデンの医学者で植物学者のツュンベリー博士も以下のような記述を残しています。


日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。日本人は、身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られていて…。

ツュンベリーの記録――江戸参府随行記(オロモルフ)



また、古代の日本では蜂子皇子(はちこおうじ)という聖徳太子のいとことされる人物の肌が黒かったことが描かれており、高貴な身分とされる人物に肌の黒かった人もいた可能性が高いのです。(現代の日本人は海外に住んで、日本人は自分が有色人種のカテゴリーに入れられることに初めて気づくのですが、戦前の日本人は有色人種であることを自覚しており、アフリカや南米アメリカ大陸では有色人種が白人に奴隷化されたり虐殺されたりした事実を知っていました。)

蜂子皇子

また、日本人の多民族ルーツを探る「天孫人種六千年史の研究」というGHQによって焚書にされた本は昭和11年以降に100万部近い超ベストセラーになり、帝国陸軍大学と陸軍士官学校の課外読本に採用されていたことが分かっており、戦前の日本人は、日本人がいろいろな民族が一つになった民族だと知っていたことを物語っています。

戦時中の日本人は何のために自分たちが戦っていたか知っていましたが、現代の私たちはどうでしょうか。

歴史家のトインビーは、日本人の功績についてこう述べています。

「第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって恩恵があった国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。

その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。

日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神(神のような存在)でないことを明らかに示した点にある。」

(1956年10月28日/イギリス紙「オブザーバー)



戦後、アジアやアフリカの国々は、日本の姿を見て立ち上がり、次々と独立を勝ち取っていきました。

現在でも、日本に感謝を述べる国々が多いのは、戦後にODAでお金をあげたからだけではありません。「独立の気概」は、お金では買えないものなのですから。

西洋社会における「人種差別」の根幹にあるのは、戦後の日本における少子化の仕掛け人の一人であるマーガレット・サンガーが言ったように「有色人種は人間以下である。だから、人間(白人)と同じ権利を持たないのは当然である」という考え方から来ています。これは、有色人種である私たち日本人には、とても衝撃的で信じられないような考え方かもしれません。しかし、事実から目を逸らしてはいけません。

西欧世界での人種差別の証拠2

西洋社会では、過去にこうやって顔とアゴ、鼻などの位置を計測して、有色人種の「サル度」というか「非人間度」のようなものを測定していたのです。これが、差別の根底にあるのです。以下の図は、「黒人とヨーロッパ人とオラウータンの横顔」という題名のイラストです。ヨーロッパの白人は、こうやって「自分たちは神に似せて作られた人間である」と聖書の記述を根拠にして自分たちの優位を証明し、有色人種が「人間以下」であり、むしろ「進化の過程で一段下にいる動物に近い」という理論を打ち立てていたのです。

西欧世界での人種差別の証拠

私たち日本人が西欧社会が有色人種の人々を皆殺しにしたり、奴隷にしたりした歴史を知る時、「どうしてあんなに残虐になれるのだろうか」と衝撃を覚えますが、それは私たちがこの根底にある考え方を知らないからです。現代の私たちが牛や豚を殺しても何の良心の呵責も感じないのと同じです。「下等な動物は、生物として進化の過程でトップにある人間と同じ扱いをする必要はない」と感じるからです。

この見方は、実は西欧社会では今でも「美人の基準」として存在します。「美人の黄金比」について調べると分かると思いますが、西洋では鼻の頭とアゴの先を一直線で結んだ時に、口のあたりが前に出ていない人が「美しい」とされています。日本のテレビで以前、「美人の黄金比」についてやっていたのをユーチューブで見たことがありますが、タレントのローラさんは、この条件に当てはまっていました。

非常に身近なところで言いますと、私は若い頃、英語圏の国でホームステイをしながら昼間は学校で講習を受けるということをしたことがあります。そのとき、一緒にプログラムに大勢の日本人の女子が参加しました。大人は「あの子が可愛い」などということは、表では言いませんが、ホームステイ先の現地の幼稚園生から小学校低学年くらいの女の子たちの間で「日本人の中で誰が一番可愛いか」ということで盛り上がっていたのです。すると、日本では「アゴが出すぎている」ために、いわゆる「しゃくれ顔」と言われる女の子が「あのコが一番可愛い」と言っていました。日本では、あまり「可愛い」と思われるタイプではなかったと思います。つまり、その女の子は「黄金比」に合致していて、西洋人から見ると「サル度が低い」とみなされた訳なのです。

人種平等の世界を築いたのは日本

この事実は、私たち日本人にとってはショックなことかもしれませんが、常に覚えておかなくてはいけないと思います。日本がなぜ、圧倒的に強い列強の西欧諸国を相手に戦争をしなければならなかったのかは、ここにあります。

■パリ講話会議にて、牧野伸顕次席全権大使による人種差別撤廃提案
http://dic.pixiv.net/a/人種的差別撤廃提案

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GHQが洗脳出来なかった日本の心

ネパールで最高栄誉勲章を受けた日本人、近藤亨

世界に感謝される日本人
12 /24 2017

2016年10月14日(金) 

この記事は、以前に違うブログで公開した古い記事ですが、なぜかその記事が真っ白になって表示されないことがあるので、再掲載します。このように何の問題もなく、政治的な内容でもない記事に言論統制がかるのはおかしいですね。どうも、日本人が日本人を誇らしいと思ってほしくない勢力からの圧力があったようです。



近年でも、世界の人々から感謝される偉大な日本人がたくさんいらっしゃるというのは、本当に誇らしいことです。

今年お亡くなりになった農学の近藤亨(こんどう・とおる)氏(1921年~2016年)は、長年にわたってネパールの農業振興に携わり、不毛な高地でそれまで不可能と思われていた稲作やフルーツ栽培を成功させ、地元のミラクルな発展に貢献されました。

この方の人生がすごい。

以前は、この記事に複数のビデオを貼り付けていたのですが、なぜかスパイウエアも一緒についてくるようなので、控えます。



50代の時に、国際協力事業団(JICA)から果樹栽培専門家としてネパールに派遣され、その後もネパールに滞在されました。定年を迎えて、近藤さんは日本に一時帰国されるのですが、なんと70歳で再びネパールのムスタンという場所へ向かいます。

70歳ですよ。

ヒマラヤ山脈の北側にあるムスタンは、標高3000メートル以上の山岳地帯にあり、高冷地にして超乾燥地帯という、農業には世界一不向きとされる場所。現地の人たちは、飢えと寒さに苦しんでいました。アメリカの自然保護団体が5年かけ植林を試みたり、ネパール政府も農業振興に取り組みますが、失敗に終わったという場所でした。

この決断にはご家族も驚き、ご友人も「奥さん娘さんと一緒に人並みな家族生活を営んだらどうか」と迫るのですが、近藤さんの決心は変わりません。



ムスタンでの活動費の捻出に、先祖伝来の家や山林まで手放します。近藤さんの崇高な目的を受け入れ、応援されたご家族もすごい。

富士山よりも高い場所で稲作を成功させるために工夫に工夫を重ねる近藤氏。

また、地元の食糧事情の向上のために食用に鯉の養殖を開始したり、リンゴの栽培を成功させます。90代になっても精力的に地元の方々を助け続けた近藤さん。

成功するまで「決してあきらめない」近藤さんの精神は、まさに本来の「やまとだましい」ではないでしょうか。

■近藤亨(こんどう・とおる)
日本の農学者
著書「ネパール・ムスタン物語」、「夢に生きる」、「ムスタンへの旅立ち」など多数。 

「負けても尊敬される」世界でも稀な日本の精神

世界に感謝される日本人
12 /24 2017
日本人にとって、当たり前のことが世界の人々にとっては、本当に驚くようなことだという事実はたくさんあります。

その一つが、日本では「負けても後世の人々から愛され、尊敬される」ということ。これは、私たちにはあまりピンと来ないかもしれませんが、海外から来た人には驚きの事実なのです。

例えば、垂仁天皇の命で行われた日本で記録に残っている最初の「相撲」。(本当の日本初の相撲の起源と言えるのは、国譲りの逸話ですが)



戦ったのは、相撲の祖だと伝えられる野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや、タエマクエハヤ)。

野見宿禰は出雲の国の出身で、宇迦都久怒の子で古事記に登場する天穂日命(アメノホヒ)の子孫だと伝えられています。当麻蹴速は、大和国の当麻邑(たいまのむら)に住んでいて、蹴り技の名手であったと言われています。

Sumo.png

この戦いによって、蹴速は腰を折って負け、野見宿禰は蹴速が持っていた現在の奈良県葛城市にある大和の国当麻の地を与えられました。勝ったほうの野見宿禰は、全国各地の野見神社、奈良県の穴師坐兵主神社、鳥取県の大野見宿禰命神社、神魂神社、大阪の片埜神社などに祀られています。

勝ったほうがいつまでも尊敬され、祀られるのは分かりますよね。これは、外国人でもわかるようです。

Sumo2.png

しかし、ここからが日本人のすごいところなのです。

それは、負けたほうの当麻蹴速も、きちんと祀られ、現在でも親しまれていることです。

穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)の摂社である「相撲神社」には、当麻蹴速(たいまのけはや)が、野見宿禰と一緒に祀られています。敵と味方が同じ場所で大切に祀られているというのが、とても日本人的な考え方なのです。

奈良県葛城市當麻には、相撲館があり、その横には「蹴速塚」(上の写真を参照)である五輪塔が現在でも残っています。相撲館の名前は「けはや座」。負けた蹴速(けはや)の名前が今でも親しまれているのです。元々は地元の人だったということもありますが、負けても尊敬され続け、決して葬り去られて歴史から消されてしまうということがない。

日本人には、「勝ち負けが全て」とか「どんなに汚い手を使っても、結果がすべて」、という思想がない。

世界の歴史を見て見ると、「歴史は勝者によって書かれる」と言われているように、戦って滅ぼされた人たちや負けた人たちの墓などが引き継がれることがほとんどなく、歴史の闇に葬られてきたと言っても過言ではありません。

他の国々では、負けた人たちの墓や塚などがほとんど残っていないだけでなく、残っていたとしても名前が引き継がれ、現在も尊敬されて愛され続け、語り継がれることがほとんどない、というのが悲しい世界での現実です。

例えば、古代ローマに滅ぼされたフェニキア人の国、カルタゴなどがありましたが、負けた方の記録はほぼ焚書となってしまい、今では古代フェニキア人がどんな民族でどんな文化を持っていたかさえも、記録があまり残っていないので、あまりわかっていません。また、アメリカ先住民の文化などについても、白人に征服されてしまいましたが、かなり記録が失われてしまっていますね。

その点において、勝ったほうも負けたほうも、歴史に残り、語り継がれるという日本人の精神は類い稀なものだと言わざるを得ません。

「蹴速塚(けはやづか)」には、このような案内文が書いてあります。

「勝者、必ずしも優ならず。
ときには勝機や時運に恵まれず、敗者とな ることもある。

勝者に拍手をおくるのはよい、だが敗者にもいっきくの涙を
そそぐべきではないか」

「蹴速塚(けはやづか)」



勝ち負けだけではなく、その人の生前の行いや努力、能力や人格を全面否定せずに評価する、というのが日本人の真髄だといえます。そんなところにも、現在の私たちの中に日本の「和」の精神が脈々と息づいているのです。

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日本人は、織田信長の時代も黒人を差別しなかった!

世界に感謝される日本人
12 /09 2017
日本人は、大昔から人種差別をしませんでした。

海を通じて行ったり来たりしていた南方系の人々が混血して12000年前から稲作をしていた縄文人となり、弥生時代にも引き続き大陸などからも大勢の渡来人(再渡来)がやってきて混血し、日本人となっていきました。詳しくは、「日本はもともと多民族国家、日本が単一民族国家というGHQ洗脳を解く」という過去記事を見てくださいね。

天孫人種6千年の歴史

聖徳太子の時代には、「蜂子皇子(はちこのみこ)」という聖徳太子のいとこではないかとされている親戚の皇子の肌が真っ黒に描かれており、肌の黒い熱帯地域からの渡来人(大昔に大陸に移住し、日本へ再渡来した人たちを含む)の混血ではなかったかとも言われています。

蜂子皇子

やんごとなき方々の中にも肌の黒い方がいらっしゃった

現在の日本人の中にも、ハーフでもない生粋の日本人なのに髪が黒人のようにチリチリの人がいたり、驚くほど色黒な人や色白な人がいるのは、大昔にいろいろな民族が日本に来ていて、私たちも一部その遺伝子を引き継いでいる証拠です。

ササン朝ペルシャの末裔

■ペルシャ絨毯共同組合サイト
http://www.carpet-association.jp/column/110104.html

織田信長の時代には、「弥助(やすけ)」という名前のコンゴから来たと思われる黒人奴隷を信長が譲り受け、武士の身分を与えて正式な家臣としました。当然、他の武士と同じような扱いをしました。当然、同じ人間として扱っていたわけです。そして、能力が優れていたため、弥助に武士の位を与えて優遇しました。

これは、当時の西欧世界の常識からは、考えられないことでした。当時の白人にとって、日本人を含む有色人種は、人間とサルの間の動物を見なしたため、奴隷のような扱いをしても西洋人は罪悪感を持つことはなかったのです。遊牧民など動物を飼うことが生きていく上で欠かせない人たちにとって、「少し人間に近い動物を飼っている」というような感覚に近かったのではないでしょうか。

江戸時代中期に日本に来たスウェーデンの医学者で植物学者のツュンベリー博士は、
当時の日本人が奴隷売買などを忌み嫌っていた事実について、以下のように述べました。


日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。日本人は、身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られていて…。

ツュンベリーの記録――江戸参府随行記(オロモルフ)



1919年のパリ講和会議で日本の代表は国際会議で初めて「人種差別撤廃」を訴えます。残念ながら、欧米が有色人種の国々と人々に対して人種差別を国家の政策として行っていた当時、日本人の提案は結果的に覆されてしまいました。

西欧世界での人種差別の証拠
(この図は、「ヨーロッパ人と黒人とオラウータンの横顔」と名付けられたイラストです。西洋では、このように有色人種の「サル度」を数値を出して測定していた

有色人種が差別され奴隷化されていた時代に、日本人は有色人種でありながらも自主的に文明化を進めて西洋文化からの遅れを取り戻すべく努力したのは、他のアフリカやアジア諸国のような植民地化と奴隷化を防ぐためでした。聖徳太子のもと、「和をもって尊しとなす」を国是としていた日本人こそ、その精神を国際社会に向けて発言していくべきではないでしょうか。

人種平等の世界を築いたのは日本

過去記事
縄文時代に、古代フェニキアと同じ染色技術「貝紫」が!
日本はもともと多民族国家
縄文時代前期、1万2000年前の稲作の痕跡が鹿児島から出土
GHQが焚書で「日本人オリエント起源説」を隠滅した理由
日本は「人種差別撤廃」を国際会議で主張した世界初の国

Siliconvalley

このサイトでの更新は終了しました。アメブロ「シリコンバレーから日本を想ふ日々」に移転しました。

https://ameblo.jp/sacredokinawa 

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