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縄文では、麻よりマコモ(真菰)が大事だった?!

世界最古の縄文文明
09 /17 2019
先日、スウィフト・タットル彗星発見者の木内鶴彦さんの「古代は麻よりマコモが重要だった?! あの世飛行士、木内鶴彦、隕石落下と古代イワクラ文明への超フライト」という本を日本から取り寄せて読みました。木内さんと言えば、「臨死体験」というか実際は死亡判定された後に体験したことを公表して、映画「ディープインパクト」のモデルとなった人物でもあります。毒を出さない環境浄化システムの発明などもされているマルチな才能を持つ方です。

木内氏が星田妙見宮という神社の宮司さんと対談されているのですが、古代日本において私たちの先祖が隕石からとった金属である隕鉄を使って刀を作っていたということを知って、興味深く読みました。その本の中で、木内氏が「将来的にマコモが日本を救うのではないか」ということを仰っていて

マコモについて知らなければ

と思うようになりました。マコモというのは、稲の原種ではないかと言われている植物で、この植物の芽が黒穂菌に寄生されてタケノコのように茎がぷっくりと膨れます。マコモダケが黒くなったものからは、黒い顔料(マコモズミ)がとれて、お歯黒や眉墨、漆器の顔料などに用いられたそうです。(なぜ日本人が戦前はお歯黒をしていたか分かりましたよ!)そして、出雲大社の本殿の中のしめ縄はマコモでできていて、毎年6月には「マコモの神事」が行われているそうです。出雲大社といえば、天皇家よりも古いと言われています。

真菰2

そして、古事記で天地創生の時にあらわれた別天津神(ことあまつがみ)の五柱の中の一柱に

「ウマシアシカビヒコヂ」

が出てくるのですが、「アシカビ」(葦カビ)とは、葦(マコモの別名)の微生物のことではないか、と言っている方もいらっしゃいます。日本は古くから「うまし国」と言われているので、意訳すると「美しい葦の微生物の人」となります。日本の古い別名として「葦原の中つ国」(葦の原っぱの中にある国)がありますが、この「アシ」がマコモのことではないかとも推測できます。

何年か前にマコモのことを読んだことがあるのですが、小野寺広志さんという方が宮城県にある沼地で猟師に撃たれ傷ついた水鳥がマコモの草をついばんでは傷にあてて、数日後には元気に羽ばたいていったのを見たそうです。それがきっかけで「これは、人間にもいいんじゃないか」ということで、マコモが世に出ることとなり、現在はご家族がマコモ(発酵茶)を広めておられるということでした。

真菰1

マコモのことを調べていて面白いと思ったのは、マコモはどうやら電磁波(それから、余分な栄養も)を体から除去する、と言っている方々がいることです。木内鶴彦さんが著書で述べている以外にも、仙台でアレルギークリニックの院長をされている丸山修寛医師も同じことをおっしゃっています。

以前、私が電磁波対策の一環として使い始めた「テンサーリング」という二本の銅線を特定の長さにしてネジネジさせた(遺伝子のような形)にして輪っかに繋げたものについて書きましたが、テンサーリングの形は「茅の輪」にそっくりです。茅の輪はもちろん人間が入れる大きさですから、こちらの記事に出ているものに比べると巨大です。(アメリカでは、人間がくぐれるサイズも作っている人もいますが)これを使うと、電気代が下がったり、電磁波の値が低くなるといわれています。(私の家も、実際に電気代は下がりました。)

「テンサー(テンソル)・リングによる環境浄化、電磁波対策」
http://nihonmagokoro.blog.fc2.com/blog-entry-450.html

マコモが稲の原種であれば、出雲大社のように太古の日本ではしめ縄もマコモで作っていたということは、「茅の輪」もマコモという電磁波除去の一助となる植物をテンサーリング型にしていた可能性が高い… 古代人はエネルギーの流れを知っていたんでしょうかね…。

マコモを世に広めてくださった小野寺広志さんのご子息がされているところから入手して飲んでみました。…が、これが泥の味(笑)!しかし、慣れるとけっこうイケますよ。私は、逆に砂糖とか入れない方がいい気がします。(私自身は劇的な変化はないですが、ユーチューブでは死亡宣告された犬をマコモのお風呂に入れたら元気になったという体験談がありました。マコモの敷物を枕の側に置いていたら不眠症の人がよく眠れるようになったという体験談も読みました。)

マコモについては、もっと知っていきたいと思っています。アメリカでは日本から送ってもらわない限り、気軽には手に入らないのが残念ですが…。
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今年の諏訪大社の筒粥神事、東日本大震災の時と同じ結果に

世界最古の縄文文明
01 /15 2019
今年(2019年)の諏訪大社の筒粥(つつがゆ)神事の結果が出ました。諏訪大社で行われるこの神事は粥占いとか「かいうら」などとも呼ばれていますが、釜で炊き上げた筒粥を割って、その結果をみて、その年の農作物の豊凶や世相を予見するというものです。東日本大震災が起きた年のこの神事の結果が史上最悪で、三分五厘であったことから「これは当たる!」と注目を浴びたと思います。三分五厘は「三行半(みくだりはん)」を意味する凶兆とされてきました。満点は五分だそうです。そして、災害が多かった昨年の結果も実は、三分五厘でした。今年も昨年と同じ三分五厘という結果が出たのです。

粥神事

長野日報の記事
http://www.nagano-np.co.jp/articles/43209

日本は、縄文前期の1万2000年以上も前からお米を育ててきましたから、米のプラントオパール(化石化した米)が出土しています。私たちが先祖から引き継いできた稲作文化とお米は稲作文化は、私たちにとって、助け合いの精神を象徴する文明の土台であり、祭祀という精神文化の中心でもあり、経済の基本であり、食べ物でもあり、健康と長寿の礎であり、国力を養う根本であり、最強のラッキーアイテムでもあります。

私たち日本人は、お米の言うことは、ホント、聞いておいた方がいいと思います。お米(筒粥)からの警告にしっかり耳を傾けて、心して一年を過ごしていきたいと思います。

関連記事
日本と世界を救うのは稲作文化を背負った頑固親父の精神
日本人にとっての一番のラッキーアイテムとは
縄文時代前期、1万2000年前の稲作の痕跡が鹿児島から出土
何をすれば世界と日本の役に立つか
国連や国際勢力が「日本叩き」をする本当の理由

縄文時代に、古代フェニキアと同じ染色技術「貝紫」が!

世界最古の縄文文明
12 /09 2017

オリエントの海洋民族であった古代フェニキア人国家であった「カルタゴ」(紀元前8世紀〜紀元前1世紀)の滅亡直前と現在の日本の状況がそっくりだという話を書きました。これは、以前からいろいろな方が驚き、警鐘を鳴らしていることです。

紀元前15世紀頃から中東と地中海を中心に繁栄してきたこの古代フェニキア人の特徴が海洋民族であることや、造船などの高い技術力を持っていたこと、奇跡的な復興力があったこと、商売に長けていたこと、勤勉であったことなど、日本人の性質に非常に似ているところがあります。

古代フェニキア人が特産品を作るのに使っていたある技術は、古代日本にも全く同じものが存在しました。古代フェニキア人は、地中海で採れる「アクキガイ」という貝の腺から採れた染料を使って紫色を出す染色法を用いていました。当時のローマ帝国の皇帝がこの染色法によるパープルの織物を好んだことから「帝王紫」とも呼ばれてきました。

紫の織もの

この染め方は、日本最大規模の弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市吉野ヶ里町)にある弥生中期から後期の墓から出土した染色布がこの貝を使った染色法に従ったものだということが判明しています。

貝

さらに、縄文時代にも同じ貝を使って紫色を出す染色法が行われていた痕跡があったことも報告されています。東京の大森貝塚を発見者として有名なエドワード・S・モースは、「チリメンボラ」という貝の貝殻の一部分が砕かれた状態で発見されたことと、チリメンボラが古代フェニキアで貝染に使用された「アクキガイ」の仲間であることに着目して、

縄文時代の日本で貝紫染めがなされていた可能性がある

と指摘しました。

大森貝塚

縄文時代に高度な染色技術を持っていた可能性があり、

弥生時代には確実に貝染をしていた日本人

これは、古代ローマで流行した貝染めより先に、日本に貝染めがあった可能性が強いということです。

現在、沖縄の北谷(チャタン)で発見された古代海底遺跡から約2500年前に発見された石板にフェニキア文字(古代オリエントのシュメール人が発明した楔文字から派生したとと言われる)のような彫刻が見つかっています。ちなみに、与那国島沖の海底遺跡は10000年前に陸地で作られていたとされています。

以前、ここにそれを紹介した日本のテレビ番組のビデオを貼っていたのですが、削除されていました。



しかし、古代フェニキア人が中東で活躍していたのは、約3500年前からであり、その前に興隆したシュメール文明でさえも、約6000年ほど前からです。そうなると、日本の縄文前期の遺跡からは12000年前の稲作の痕跡であるプラントオパールが発見されていますから、

日本にあった古代文明の方が遥かに古い

可能性が強いです。

作家の有吉佐和子さんは、生前に古代の日本に船で一部の「フェニキア人が渡来していた」という説を発表されていました。しかし、これはフェニキア人が来ていたのではなく、日本に住んでいた人たちがオリエントに行って、帰って来た人たちもいた(行ったり来たりしていた)、というのが正しいのではないかと言えます。(プラントオパールの炭素分析による年代測定は、最近になって判明したものですから、以前の日本人は私たち日本人の文明が世界の文明に先駆けて存在したという科学的物証を持っていませんでした。)

プラントオパール

■九州大学 九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告)
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/2462/1/KJ00000697267.pdf#search=%27



2016年に沖縄では、古代ローマ帝国のコインが発見されています。また、京都や広島でも紀元1世紀から4世紀頃の古代ローマガラスが発見されていることからも、古代日本でオリエントとつながる交易があったことの裏付けはあります。

沖縄の古代ローマコイン
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG26HH8_W6A920C1000000/

その後の日本には、聖徳太子の時代にペルシャ人が朝廷の役人になっていたことを証明する木簡が発見されており、「秦氏」などの有名な渡来人がいたことからも、様々な渡来人が行ったり来たりしていただろうことは確実です。シルクロードという陸の道以外に、海洋民族がたどってきた「海の道」もあったのではないかと推測できます。

しかし、古代フェニキア人についての知識は、世界史でも詳しく伝わっていません。フェニキア人の国家であった「カルタゴ」は、軍事力を奪われて無力化し、平和ボケしてしまったために最終的にローマに滅ぼされるのですが、その過程で人命が奪われるだけでなく、町は17日間にわたって炎上し、蔵書数50万冊あったとされる図書館も失われました。これは、人類史上もっとも大規模な焚書と言われています。このため、フェニキア人は、「謎の海の民」として歴史研究の枠からも外されてしまいました。

敗戦した民族は、その民族が蓄積してきた知恵や歴史、文化まで抹殺されてしまうことが多かったからです。

種まく縄文人

過去記事
何をすれば世界と日本の役に立つか
原日本人の「縄文人は未開人」というGHQ洗脳からの脱却
縄文時代前期、1万2000年前の稲作の痕跡が鹿児島から出土
日本はもともと多民族国家、「日本は、単一民族国家」というGHQの洗脳を解く
GHQが焚書で「日本古代オリエント交流説」を隠滅した理由

縄文時代前期、1万2000年前の稲作の痕跡が鹿児島から出土

世界最古の縄文文明
12 /09 2017
近年、縄文時代前期の地層から、イネのプラント・オパール(機動細胞珪酸体)が次々と発見され、これまで「弥生時代に大陸から伝来した」とか「縄文後期に伝来した」という説が覆されています。この件に関して、非常に懸念を覚えたのは、何らかの圧力や自己検閲が存在するのか、この内容に関する過去の新聞記事が次々と新聞社のサイトから削除されており、閲覧できない過去記事が増えていることです。

稲穂と民家

インターネット上で以下の四国新聞の記事は、まだ残っていました。

 岡山県灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、イネのプラントオパール(イネ科植物の葉などの細胞成分)が大量に見つかり18日、灘崎町教育委員会が発表した。この時期のプラントオパールが大量に見つかるのは全国初という。イネの栽培をうかがわせ、これまで栽培が始まったとされている縄文時代後期(約4000年前)をはるかにさかのぼる可能性がある。縄文時代の農耕開始をめぐる議論に一石を投じそうだ。

四国新聞 2005年
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/article.aspx?id=20050218000428



縄文プラントオパールの記事
(この記事は、クリックしてもすぐに見れないようになっていたので画像を貼っておきます。)

しかし、縄文時代前期である「1万2000年前のプラントオパールが鹿児島から出土した」という件については、ほとんどの情報が隠蔽されているのか、新聞報道などがされていません。以下は、熊本大学が公開している「九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告) 」という報告書の一部です。この件に関して、なぜか過去の新聞記事などが次々削除されるので、対策として以下の資料はダウンロードして、コピーも取って保存することにしました。(ぜひ、ダウンロードして内容を拡散してください)

プラントオパール

http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/2462/1/KJ00000697267.pdf#search=%27プラント+オパール+縄文%27

九州大学の報告書の中には、「(イネだけではなく)小麦も中国よりも遥かに年代的に遡るという問題も合わせて考えなければならない事態を招来した」と記述してあります。つまり、今まで言われてきた通説を覆すことになってしまうと、以前から使ってきた前提や常識が使えなくなって、慌てているような内容です。科学者として、事実を冷静に受け止めるのではなく、「問題」とか「事態」などと、困っている様子が文章に現れています。その後の文章は、いろいろな理屈をつけて、事実を否定しようとしている文章に聞こえます。

ちなみに、福岡市教育委員会文化財部長の山崎純男氏は、熊本県本渡市の大矢遺跡から出土した縄文時代中期(約5000~4000年前)の土器に稲もみの圧痕(あっこん)を確認したと発表しています。

種まく縄文人

「タネをまく縄文人: 最新科学が覆す農耕の起源 (歴史文化ライブラリー) 」小畑 弘己 (著)



戦後、GHQ主導の教育によって、縄文時代の日本人は全く文明がない未開人で、日本人は中国や朝鮮から「日本に文明を教えてもらって」文明人になった、というように教えられてきました。そして、中国や朝鮮などでは「先に来たものが偉いから、言うことを聞け」という儒教思想があるため、大陸から全ての文化が伝来したことを強調してきました。

なぜ、中国や朝鮮が「これはうちの国が起源だ」という主張をするのは、文化的に「先輩である」ということを強調して、政治的に従わせようとする意図があるのです。意図が政治的なものなので、科学的な根拠や事実はあまり重要ではないため、捏造も厭わないというわけです。「漢字は中国起源だろう。日本人は、漢字を使っているだろう。それは、中国のおかげだ。だから、中国に逆らうな。中国のいうことを聞け」という風に文化を利用して、日本人を支配したいという手法です。

現在、韓国で漢字をほとんど使っていないのは、漢字を使っていると、この「漢字を教えてやった先輩に従え」と言われてしまうのを恐れて、あえて排除したという背景があります。

もちろん、戦前の日本人は、古代の日本にはすでに高度な航海技術があり、いろいろな民族が共存して文化を発展させていたことを知っていました。また、近年における縄文時代の漆器や漆の枝の発見、沖縄の海底遺跡の発見、縄文時代の酒造りの痕跡の発見などによって、10000年以上前から、日本には高度な文明が存在したことが判明しています。

日本には弥生時代に大陸文化が流れてくる以前の「縄文時代にすでに高度な文明があった」と私たちが思い出すことは、日本人の自立の第一歩だと思います。

富士山

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいはあき)の瑞穂の国は、これわが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。

日本の国は秋になると稲穂が豊かに米が稔る水田国家であり、私たちの子孫が治める国です。なんじ皇孫世、これから行って国を治めなさい。幸せでありなさい。天の日嗣の血統を継ぐものが栄えること、天地と共に永遠できわまりないだろう。

天壌無窮の神勅 -(日本書紀)



■九州大学 九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告)
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/2462/1/KJ00000697267.pdf#search=%27プラント+オパール+縄文%27

■四国新聞 縄文前期、イネ栽培か/プラントオパール大量に(2005年2月)
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/article.aspx?id=20050218000428

日本人にとって、一番のラッキーアイテムとは?

世界最古の縄文文明
12 /09 2017
日本人にとって一番万能のラッキーアイテムがあるとしたら、それはなんでしょうか。

風水などで、よく金色や金そのもの(黄金)を好む方々もいらっしゃいます。トランプ大統領も、大統領執務室のカーテンは金色です。日本で何年も納税額一位を誇った斎藤一人さんも、「金無垢のローレックスをつけろ」というアドバイスをしていました「黄金」は、古代の天皇(大王、おおきみ)など、高貴な方々の埋葬品として出土しています。



しかし、その天皇陛下さえも、日本では古来より一番大切になさってきたものといえば、「おおみたから」と呼んだ「人々(国民)」です。そして、何か人以外の「もの」で一番大切にされてきたのは縄文時代から稲作と共に続いてきた米でした。

日本では、今から6000年前の遺跡から、稲作が行われていた証拠であるプラントオパール(米の痕跡)も発見されています。また、鹿児島では、12000年前のものが発見されています。伝統的に日本人にとっての「人」以外の

財産といえば、「米」でした。

「米」はお金のように機能して、納税なども「米俵」を使った時代が続きました。

お米と稲作は、日本と日本人にとって、助け合いの精神を象徴する文明の土台であり、祭祀という精神文化の中心であり、経済の基本であり、食べ物でもあり、健康と長寿の礎であり、国力を養う根本であると言えます。

田植え

そして、昔から「米粒一つ一つに神が宿っている」と言われてきたように、現代の私たちの意識の中にその価値観があります。

よく「一番の開運法は感謝することであり、自分が感謝のエネルギーで満たされることだ」と言います。もしも、すべての人々やことがら、そのプロセスに感謝することが出来れば、それは一番強力な開運法になるでしょう。

では、「具体的に何に対する感謝をどうやって始めたら良いのか」を考えたときに、自分の身体と家族と大地と祖国と地球を繋いでくれる「お米」こそ日本人にとって、一番身近なものではないでしょうか。

お米を頂くことに感謝する時、このたった一つの行為によって、私たちは幾重にも私たちを支えて育んできたものとの繋がりを再確認するとともに、感謝を重ねているのです。

稲穂と民家

稲を育んでくれた太陽と大地(祖国)への感謝
稲作を縄文の昔から絶えることなく引き継いでくださったご先祖さまへの感謝
お米を育ててくださった農家の方々への感謝
精米して下さった方々への感謝
運んで下さった方々への感謝
お箸お茶碗を作ってくださった方々への感謝
お米を買ってごはんを炊いてくれた両親への感謝
ごはんを美味しく頂いて消化できる自分の身体への感謝などなど…



すべてが繋がっていて、すべてがありがたい‼️

その「すべてがありがたい」という気持ちを表すのに私たち日本人は「お米の一粒一粒に神様が宿ってる」という表現を使ってきたのでしょう。昔から日本では、食事は「神事」とされてきました。国学者の本居宣長は、以下のような和歌を詠んでいます。

味(たな)つもの百(もも)の木草も天照(あまてら)す
日(ひ)の大神(おおかみ)の恵(めぐみ)得てこそ

美味しく味わうもの、頂くすべてのものも
私たち日本人の祖先であり、天皇のご先祖である
天照大神(あまてらすおおみかみ)
太陽の神様のおかげです

本居宣長の和歌



お米を食べるだけで、シンボリックに一粒一粒、その繋がりを強化し、自然と大地と先祖と自分をつなぐ神聖なエネルギーを取り入れているのですから、自分の中の「神性」がアップしているということになります。ですから、米は、日本人のパワーを最大限に引き出すアイテムなのです。

お米の中でも、平成元年の1989年にコシヒカリが突然変異で出現した新種の「イセヒカリ」という伊勢神宮の神田で発見されたお米は「奇跡のお米」として知られています。「食味値(おいしさの値)」が通常よりも高く栽培しやすいこのお米は、現在、伊勢神宮に捧げるお米(御神米)として奉納されています。

「お米の発酵水」で掃除をしたり、コスメとしても使われています。お米から成分を抽出したライス○○○というようなコスメや日本酒ブランドがプロデュースしているコスメも、日本人の肌に合っているのか大ヒットしています。

そして、日本人はやはりお米を食べた方が痩せる。また、日本人はお米を食べた方が精神的にも安定すると言われています。「お米を食べるだけでこんなにやせた」という本をみてくださいね。

西洋人向けの研究に基づいたダイエットは有害で、日本人はむしろ米を食べた方が健康になることも判明しています。「米と糖尿病 日本人は炭水化物(糖質)を制限してはならない」という本を参照してください。

米が原料である「塩麹」や「甘酒」が流行しているのも、偶然ではありません。そして、米を包んでいる皮の部分である「米ぬか」も有効利用できます。

むしろ職人

12000年以上の前にすでに日本で行われていた稲作について知ることは、日本人の真髄を知ることであり、米に感謝して食べることは私たちの神性を呼び覚ますウルトラ開運アクションであるということです。

「麺類(遺伝子組換えの輸入小麦で作った)を食べると運が良くなる」などという大陸由来の洗脳には騙されないでください(笑)。

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縄文時代前期、1万2000年前の稲作の痕跡が鹿児島から出土

高度な日本文明を思い出す! 原日本人の「縄文人は未開人」というGHQ洗脳からの脱却

世界最古の縄文文明
12 /09 2017

戦後教育を受けた私たちは、原日本人である「縄文人は未開人」であり、現在の中国や朝鮮から弥生時代に突然、文明がワッとやってきて、稲作も建築も全て「伝授してもらった」という風に教えられてきました。

田植え

しかし、近年になって約6000年前の縄文遺跡から米のプラント・オパールが発見されたり、さらに1万2000年前の鹿児島の縄文時代前期の遺跡からも米のプラント・オパールが発見されて、これまでの定説が根底から覆されるという現象が起きています。

プラントオパール

■九州大学 九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告)
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/2462/1/KJ00000697267.pdf#search=%27プラント+オパール+縄文%27



種まく縄文人

「タネをまく縄文人: 最新科学が覆す農耕の起源 (歴史文化ライブラリー) 」小畑 弘己 (著)

さらに、12600年前の漆の枝や、縄文時代の漆器の年代が特定されたことからも、縄文時代の日本に高度な文明が存在していたことをうかがい知ることができるのです。さらに、縄文時代中期における酒造りの痕跡も発見されています。

また、大森貝塚を発見したモースが「貝紫」という染色技術が縄文時代に行われていたと推定したことも注目に値します。

大森貝塚

また、天皇陛下の「新嘗祭」の儀式では中国大陸起源の二本の棒からなる箸ではなく、日本オリジナルのピンセット型の折箸という器具を使って神饌を召し上がることからも、日本固有の伝統があったことが分かります。中国や韓国ではピンセット型の箸は伝わっていません。

日本固有の箸

現在の日本人にとって、中国が沖縄に対して領有権を主張してきたり、韓国の方々が「文化をすべて日本に教えてやったのに」とか「(盗んだ)仏像は我々のものである」という主張をするのは、理解しがたいことです。

しかし、中国や韓国は、「自分たちの祖先が日本を作ったのだから、日本は自分たちのものだ(日本を返して欲しい)」というような支離滅裂な話を真面目に主張しているのです。つまり、「縄文人=未開人」という日本人に施された洗脳をいいように根拠として利用して、日本国土の領有権や文化財の所有権を奪おうとしているというわけです。

以前、日本の歴史を英語で解説してあるビデオを見たことがあります。その内容は、縄文人がもともと日本にいたのを滅ぼして、弥生人が中国大陸から騎馬民族で景教(ネストリウス派キリスト教)を信仰した秦氏(秦の始皇帝の子孫のはずだから、中国人だと言いたいらしい)がやってきて、サムライとなって日本を支配した、という内容でした。いわゆる「騎馬民族征服王朝説」です。

稲穂と民家

戦後、GHQ(占領軍)が主導した東京大学の江上波夫氏によるこの説は、アメリカなどでも、インテリの白人の中でも浸透してしまっているらしく、私は過去にアメリカで何人かの日本や中国に興味を持つアメリカ人たちから、その説を聞いたことがあります。日本語を知らない人たちにとっては、「日本語は中国語をベースにしておらず、文法も根本的に全く違う言語である」と言ってもわかってもらえないことが多かったです。

現在では、この学者は当時、GHQからの圧力があったことを認めており、「騎馬民族征服王朝説」が誤謬であったことが判明しています。つまり、一部の渡来人が弥生時代に来たことは裏付けられても、王朝交代や民族そのものの入れ替わりはなかったというのが定説です。

戦前の日本人は、当時のベストセラーであった「天孫人種六千年史の研究」という本によって、日本に様々な民族が混血した結果、日本人として暮らしていたことを知っていました。また、武家(将軍家)が宮家(天皇家)をお守りしながら、相互に縁戚関係を持ちつつ並行して存在してきたことも、日本ならではの現象でした。王や皇帝を抹殺したり、結婚をして完全に成り代わってしまうのが当たり前の大陸文化にとって、力で国民を抑えるのではなく、「自己犠牲と無私の心で統べる」という天皇の存在の意味がはわからないようです。

「天孫人種六千年史の研究」 三島敦雄著
http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb301.html
本のダウンロードは、こちらから
http://iyasaka369.blog.fc2.com/blog-entry-1.html



日本人はもともと未開人だったのではなく、日本に縄文時代から(おそらく世界最古と思われる)文明があったことを知ることは、GHQ主導教育からの「脱洗脳」の第一歩であり、日本人が誇りを取り戻し、国力を底上げするきっかけになるはずです。

富士山

豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいはあき)の瑞穂の国は、これわが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)り無かるべし。

日本の国は秋になると稲穂が豊かに稔る水田国家であり、私たちの子孫が治める国です。なんじ皇孫世、これから行って国を治めなさい。幸せでありなさい。天の日嗣の血統を継ぐものが栄えること、天地と共に永遠できわまりないだろう。

天壌無窮の神勅 -(日本書紀)



反日中韓を操るのはアメリカ

酒に強いDNAを持つ縄文人、酒造りは縄文時代に行われていた!

世界最古の縄文文明
12 /09 2017
近年、科学の進歩によって炭素年代測定というものができるようになり、縄文時代前期である12000年前のプラントオパールが出土したことから、日本で縄文時代前期にすでに稲作が行われていたことが分かっています。

稲穂と民家

プラントオパール

■九州大学 九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告)
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/2462/1/KJ00000697267.pdf#search=%27



これまで、「狩猟採集民は酒を持たない」という通説から、「縄文時代には酒がなかった」とされてきました。しかし、縄文時代中期の遺跡からぶどうの種がついた酒壺らしきものが出土して、それが覆されました。また、縄文時代前期の遺跡から酒の材料となるコメの痕跡が大量に発見されたことから、古くから日本酒も作っていた可能性も否定できなくなりました。

さらに、近年の遺伝子学によって、日本に古くから住み着いていた縄文時代の日本人の遺伝子を多く受け付いでいる人は、お酒に強いDNAを持っていて、弥生時代に大陸から渡来した人々の遺伝子を多く受け継ぐ人に下戸の遺伝子が多いことが判明しました。

お酒が強い遺伝子
http://www.nta.go.jp/tokyo/shiraberu/sake/seminar/h19/02/02.htm

これは、お酒に含まれるアルコールを分解する酵素の活性遺伝子の型を分析した研究によるもので、日本人が受け継いでいる同じモンゴル系の遺伝子でも、旧モンゴル系と新モンゴル系があり、新モンゴル系の弥生人の遺伝子を強く受け継いでいる人はお酒に弱く、旧モンゴル系の縄文人の遺伝子を強く受け継いでいる人はお酒に強いということです。

縄文人がお酒に強い遺伝子を持っていたということは、お酒を飲んでいたということが分かります。そして、お酒を飲んでいたということは、お酒を作っていたことが推測されます。

農学博士で酒造史家の加藤百一氏が書いた「日本の酒5000年」(技報出版・1987年)という本によると、長野県にある縄文時代中期(約2000~10000年前)を中心とした井戸尻(いどじり)遺跡から発掘された「有孔鍔付き土器」にブドウの種子がついていたことから、「土器にヤマブドウを仕込んで果実酒を造っていたのではないか」と指摘しています。

以前、この場所に関連した映像を貼っていたのですが、その映像はすでに削除されていました。



「有孔鍔付土器」というのは、紀元前4000年から3000年頃(縄文中期)のもので、長野県諏訪郡富士見町の藤内遺跡群から出土した多くの土器のなかから、酒壷として使われていたと思われる高さ51cmの大型で膨らみのある「半人半蛙文 有孔鍔付土器」が発見されています。壺の広い口元には、発酵によって出るガスが抜ける穴が18個あいており、壷の中に山ぶどうの種子が付着していたのです。

弥生時代に大陸から流入してきた人たちが「お酒に弱い遺伝子」を持っていたということは、当時の大陸起源の人たちは、お酒を飲まなかったことが推定されます。よって、弥生時代に中国などからお酒と酒造技術が日本に初めて伝播したいう説自体を否定せざるをえません。

ですから、稲作をしていた縄文人がお米で縄文時代にすでに日本酒を作っていた可能性が強いのです。

大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を厚く敬った崇神天皇が神に捧げる御酒を造るために、高橋邑の活日(いくひ)を掌酒(さかひと)に任じ、大神への祭りが行われた後の酒宴で活日が御酒を天皇に捧げて以下のように詠んだことが知られています。

この神酒は わが神酒ならず やまとなす 大物主の 醸(か)みし神酒 幾久 幾久

この神酒は、わたしが造った神酒ではありません。やまとの国をお造りになった大物主大神さまが醸(お噛みになった)されたお酒です。幾世までも久しく栄えませ、栄えませ

高橋邑活日



酒

ここで非常に興味深いのが、「大物主という神(かみ)が酒を「かみ(醸み)」、酒を作った」と詠われていることです。「かみ」という言葉には、「先祖」や「リーダー」という意味がありますから、天皇の先祖の神が自ら「口噛み酒」を作ったことが伝承されているのがわかるのです。映画「君の名は」でも、神道の儀式の一環として「口噛み酒」が出てきて、物語の鍵となるエピソードとなっていましたね。

日本における「酒造り」の起源は、大陸ではなく日本にあった可能性が非常に強いことをを私たちは再認識しなければなりません。

参考文献
■国税庁 「あなたはお酒が強い人?弱い人?」
http://www.nta.go.jp/tokyo/shiraberu/sake/seminar/h19/02/02.htm
■九州大学 九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告)
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/2462/1/KJ00000697267.pdf#search=%27プラント+オパール+縄文%27
■四国新聞 縄文前期、イネ栽培か/プラントオパール大量に(2005年2月)
http://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/article.aspx?id=20050218000428

過去記事
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