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縄文時代に、古代フェニキアと同じ染色技術「貝紫」が!

世界最古の縄文文明
12 /09 2017

オリエントの海洋民族であった古代フェニキア人国家であった「カルタゴ」(紀元前8世紀〜紀元前1世紀)の滅亡直前と現在の日本の状況がそっくりだという話を書きました。これは、以前からいろいろな方が驚き、警鐘を鳴らしていることです。

紀元前15世紀頃から中東と地中海を中心に繁栄してきたこの古代フェニキア人の特徴が海洋民族であることや、造船などの高い技術力を持っていたこと、奇跡的な復興力があったこと、商売に長けていたこと、勤勉であったことなど、日本人の性質に非常に似ているところがあります。

古代フェニキア人が特産品を作るのに使っていたある技術は、古代日本にも全く同じものが存在しました。古代フェニキア人は、地中海で採れる「アクキガイ」という貝の腺から採れた染料を使って紫色を出す染色法を用いていました。当時のローマ帝国の皇帝がこの染色法によるパープルの織物を好んだことから「帝王紫」とも呼ばれてきました。

紫の織もの

この染め方は、日本最大規模の弥生時代の遺跡である吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市吉野ヶ里町)にある弥生中期から後期の墓から出土した染色布がこの貝を使った染色法に従ったものだということが判明しています。

貝

さらに、縄文時代にも同じ貝を使って紫色を出す染色法が行われていた痕跡があったことも報告されています。東京の大森貝塚を発見者として有名なエドワード・S・モースは、「チリメンボラ」という貝の貝殻の一部分が砕かれた状態で発見されたことと、チリメンボラが古代フェニキアで貝染に使用された「アクキガイ」の仲間であることに着目して、

縄文時代の日本で貝紫染めがなされていた可能性がある

と指摘しました。

大森貝塚

縄文時代に高度な染色技術を持っていた可能性があり、

弥生時代には確実に貝染をしていた日本人

これは、古代ローマで流行した貝染めより先に、日本に貝染めがあった可能性が強いということです。

現在、沖縄の北谷(チャタン)で発見された古代海底遺跡から約2500年前に発見された石板にフェニキア文字(古代オリエントのシュメール人が発明した楔文字から派生したとと言われる)のような彫刻が見つかっています。ちなみに、与那国島沖の海底遺跡は10000年前に陸地で作られていたとされています。

以前、ここにそれを紹介した日本のテレビ番組のビデオを貼っていたのですが、削除されていました。



しかし、古代フェニキア人が中東で活躍していたのは、約3500年前からであり、その前に興隆したシュメール文明でさえも、約6000年ほど前からです。そうなると、日本の縄文前期の遺跡からは12000年前の稲作の痕跡であるプラントオパールが発見されていますから、

日本にあった古代文明の方が遥かに古い

可能性が強いです。

作家の有吉佐和子さんは、生前に古代の日本に船で一部の「フェニキア人が渡来していた」という説を発表されていました。しかし、これはフェニキア人が来ていたのではなく、日本に住んでいた人たちがオリエントに行って、帰って来た人たちもいた(行ったり来たりしていた)、というのが正しいのではないかと言えます。(プラントオパールの炭素分析による年代測定は、最近になって判明したものですから、以前の日本人は私たち日本人の文明が世界の文明に先駆けて存在したという科学的物証を持っていませんでした。)

プラントオパール

■九州大学 九州先史時代遺跡出土種子の年代的検討(平成14年度研究 プロジェクト報告)
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/2462/1/KJ00000697267.pdf#search=%27



2016年に沖縄では、古代ローマ帝国のコインが発見されています。また、京都や広島でも紀元1世紀から4世紀頃の古代ローマガラスが発見されていることからも、古代日本でオリエントとつながる交易があったことの裏付けはあります。

沖縄の古代ローマコイン
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG26HH8_W6A920C1000000/

その後の日本には、聖徳太子の時代にペルシャ人が朝廷の役人になっていたことを証明する木簡が発見されており、「秦氏」などの有名な渡来人がいたことからも、様々な渡来人が行ったり来たりしていただろうことは確実です。シルクロードという陸の道以外に、海洋民族がたどってきた「海の道」もあったのではないかと推測できます。

しかし、古代フェニキア人についての知識は、世界史でも詳しく伝わっていません。フェニキア人の国家であった「カルタゴ」は、軍事力を奪われて無力化し、平和ボケしてしまったために最終的にローマに滅ぼされるのですが、その過程で人命が奪われるだけでなく、町は17日間にわたって炎上し、蔵書数50万冊あったとされる図書館も失われました。これは、人類史上もっとも大規模な焚書と言われています。このため、フェニキア人は、「謎の海の民」として歴史研究の枠からも外されてしまいました。

敗戦した民族は、その民族が蓄積してきた知恵や歴史、文化まで抹殺されてしまうことが多かったからです。

種まく縄文人

過去記事
何をすれば世界と日本の役に立つか
原日本人の「縄文人は未開人」というGHQ洗脳からの脱却
縄文時代前期、1万2000年前の稲作の痕跡が鹿児島から出土
日本はもともと多民族国家、「日本は、単一民族国家」というGHQの洗脳を解く
GHQが焚書で「日本古代オリエント交流説」を隠滅した理由
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コメント

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日本にあった古代文明では

初めまして、ちょっとお邪魔します。徳之島の下原洞穴遺跡から、「奄美群島最古となる「隆帯文(りゅうたいもん)土器」(1万3千~1万4千年前)が出土してますね。 http://amamishimbun.co.jp/2019/03/15/16959/  Sacredokinawa様は、岐阜県下呂市の岩屋岩蔭古墳をご存知でしょうか?http://www.hoshitabi.com/kanayama/iwayaiwakage.html この遺跡では約一万年前に太陽の「アナレンマ(8と∞)」を観測しててたようです。数字の8と∞ですが、棚畑遺跡の縄文のビーナスは妊婦らしい,観音菩薩と十二支と子(ね)年から言霊を使って考えます。まず、子=ね=音と「命」を分解し「人の一叩き」とします。菩薩=妊婦と考えるとお腹の子の心音=命となります。観音には、十一面観音があります。観=かん=神と考えると、神子(現人神かな?)の菩薩となります。古代から数字の8と∞が特別なのは「生と死の循環」と考えたからではないかと思います。日本は古代から高度な知識を得ていたと思われます。

Re: 日本にあった古代文明では

貴重な情報、ありがとうございます。

一万3、4千年前とはすごいですね。もっと勉強せねばと思います。

沖縄にはピラミッドがいくつもありますし、楔文字のような彫り物なども残っているし、私たちの先祖はおそらく非常に高度な文明を持っていたのではないかと思います。もっともっと明らかになってくることを期待します。

古代からの天文観測により

古代史を調べるようになったのは、私の先祖が歴史の秘密に関係していたのではないかと思たことです。茨城県常陸太田市馬場町(旧:誉田村大字馬場)に物部佐竹氏の氏神:馬場八幡宮があります。ご神木は柊です。ホツマツタヱに「柊」は、門(角・才)を開くもの。カドは「繁栄・幸運」の意。繁栄・幸運を開くことの物実として、大晦日に門戸を開き、柊を据えて幸運を開く。https://gejirin.com/src/Hi/hiragi.html とあります。この馬場八幡宮から南に延びる道沿いに金砂神社があり、ご神木は榎です。両神社の中間程に私の総本家があります。そして、馬場八幡宮から南に延びる道の方位は大阪の誉田御廟山古墳と一緒で、現在の冬至の日の零時のシリウス星のラインに一致します。また、詳しくは後日にしますが、総本家から真東は真弓神社で、弓矢を太陽と八日目の月で表しているものが面白いです。京都の真弓八幡宮はもっと古代史に関係します。

Re: 古代からの天文観測により

コメントありがとうございます。

ホツマツタヱ、ちょっと斜めに読みかけて、まだ読み終えてませんね。これからの課題にしたいです。神代文字も覚えたいですね。ハワイなどポリネシアの島々で見つかっているペトログリフにも似ていて、私たちのご先祖さまの一部が日本を含む太平洋を取り巻く海洋文化・民族を担っていたことに思いを馳せます。そういえば、ソロモン諸島、ハワイ、イースター島を昔の人々は行き来していて、太平洋の島々には伝統的に天体の動きをもとに航海をする航海術が伝わっていて、現在でもノウハウが少しですが残っていることを航海士の方に聞いたことがあります。日本もおそらくそっちの文化圏の一部だったのではないかと思っています。皇室のルーツが沖縄にある、という話も聞いたことがありますし。

日本はカナ文字ができた平安時代あたりにも(おそらくその前にも)、かなりリニューアルしたというか本当の歴史を隠してしまっていると思います。もちろん、歴史の真実を隠すことで何かを守っていたのかもしれませんし、悪意だけではなかったとは思います。やまと言葉というか日本語が大陸の言葉にはまったく似ていないことからも、私たち日本人のルーツは隣国にはないことは明らかですが、だんだんと隠されていた歴史の真実も表に出てきて、私たち日本人が本来の自信や輝きを取り戻すきっかけになってくれればと思います。

稲作伝来の謎(ページ1/2)

柊は面白いことに、日本柊と西洋柊があります。そして、西洋柊クリスマスホーリーは、西洋のキリスト教社会では、イエスの受難(十字架刑)の血と苦悩を象徴する「聖なる木」です。イエスの足元に落ちた血の跡から生えた植物ともいわれています。 https://グランマ.com/hollyflower/ 
茨城の由来は、「穴に住み人をおびやかす土賊の佐伯を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をかけさせた」です。常陸国は、常世の国とも。ですので不思議ですよね。キリスト教で、カトリック聖人伝によると「聖母マリアの清らかでけがれない愛を白ユリにたとえ、マリア・マグダレナの痛悔した血の涙で前非を洗い流した愛は真紅のバラにたとえられる」とのことです。表と裏があるのでしょうか?

稲作伝来の謎(ページ2/2)

クリスマスは、ヨーロッパの冬至祭の風習とキリスト教が結びついて現在の形になったもののようですね。冬至を子年とすると、12/25は卯年(東,6時),大晦日は酉年(西,18時)。偶然かトリですね。元日と2日は、戌亥年。なんと、皇居の乾門は橋が無く一般人用です。「縄文時代前期の地層から、イネのプラント・オパール(機動細胞珪酸体)が次々と発見され、これまで「弥生時代に大陸から伝来した」とか「縄文後期に伝来した」という説が覆されています。」と同じ原因かも?そして、日本のダビンチコードかも。

Re: 稲作伝来の謎(ページ2/2)

そうですね、縄文前期のプラントオパールが大量に出土しているので、もうすでに歴史書や教科書も書きかえていないとおかしいのですが、学会があえて無視しているのでしょうかね。熊本大学の論文を過去記事に載せましたが、この発見によって過去の大前提を覆すことになってしまい、困っているような内容でしたね。

http://nihonmagokoro.blog.fc2.com/blog-entry-109.html

アメリカでも

ブログ「In DEEP」に「最初期のアメリカ先住民は縄文人だった」という研究記事が翻訳掲載されています。アイダホ州で発掘された石器が日本の縄文式石器に酷似しているそうです。人骨が発見されれば歴史の教科書が書き直しになるレベルですね。かなり前に読んだ本に「南アメリカ大陸で縄文時代の「火焔土器」そっくりの土器が見つかっている」と書かれていましたが、アイダホの石器を使った縄文人の一部が南下して定住したのなら不思議ではありませんね。世界の文明の基礎は縄文文化なのかもしれません。

Re: アメリカでも

コメントありがとうございます。

遺伝子的にもネイティブアメリカンと日本人は一致するようです。

ユーチューブでアメリカの遺伝子調査サービスで祖先の民族が何人だったかの調査結果を公表するしている日本人女性がいましたが、その結果では日本人とネイティブアメリカンが同じカテゴリーに入っていて区別不可能でした。現時点の科学では遺伝子的には同じ人種ということです。

アメリカはネイティブの人たちから奪った土地なので、アメリカの支配層は、「日本人が自分たちの民族の本当の姿を知って、アメリカの土地を返せ」と言われるのを潜在的に恐れているようです。私たちは仕返し的なことを考えない民族なのでピンとこないですが、アメリカが日本を戦後、さんざん弱体化工作してきたのも、どこかで原爆の仕返しをされると困ると考えたからのようです。

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